平取町の伝承者育成事業研修がありました
2024/03/12
本日はゲストの平取町アイヌ文化振興公社のご一行を迎え知里幸恵の業績や文化伝承について説明しました。幸恵さんはフチのモナシノウクがずっと昔からの先祖が伝承してきたウパシクマを幼き頃より育まれ、フチの期待を負ってきたかも。そしてそれを彼方の未来に受け継ぐことを願ったのではないでしょうか。聖公会函館アイヌスクールでアイヌ語読み書きを習った金成マツからローマ字の書き方を教わり遺したのです。 9月22日にある知里幸恵フォーラム24で公演される方もおりました。よろしくお願いします🌈

登別川河口より幌尻岳を望む 
2024/03/03
登別川のクスリサンベツ川との分流(和語では落合とも)する辺り、知里牧場が拡がっていた一帯がキムンタイ(山の森の意、紀文台と表記している)。そこでイソサンケカムイ(エゾフクロウ)の幼鳥を撮られた写真家の志賀俊哉さんが2月に写した登別川河口からの日高山脈です。頂きをひとつ超えているポロシリ。 ホロベツ(登別市)で伝承されて来た「カホル」のサキヘのあるカムイユカㇻ(神謡)。ポンポロシリカムイ(ポロシリカムイの息子)が謡う謡であり、ヤㇺニ(栗の木)の植生石狩限界を物語る、その母がアヨロ媛であることと。 アヨロは白老町の西端に当たり往古よりホロベツ場所に深く連なっていた。太平洋を往くイタオマチㇷ゚やチㇷ゚の寄港地としてポンアヨロコタンのあるレプンクルトマリは重要でした。カムイエカシチャシがあり、渡島の恵山岬から襟裳岬までを遠望できます。ここに集まってきたレプンクル(外洋の者たち)の物語は、太平洋だけでなくオホーツク海のウラシナイのエカシ(翁)、ヤンケモシリ(樺太)、日本海での出来事として伝わる。のではなかったのか? (つづく) 

tanto tanto shiraoi さんの投稿あり
2024/02/26
【知里幸恵 銀のしずく記念館 友の会会報 が素敵すぎて】 知里幸恵銀のしずく記念館の、友の会に入会しています。 友の会通信は、たまに郵送されてくるのですが、今回の27号、とても面白かったです。 本田優子先生の、講演要約。 中川裕先生の、講演要約。 シンポジウム「アイヌ神謡集これからの100年」要約。 心に残ったのは、『「アイヌ問題」とは言うけれど、違うでしょう、「和人」の問題でしょう、日本の社会の問題でしょう』というところ。 それから、ウレㇱパクラブの大学生である岸さんの『序文に「二人三人でも強いものが出てきたら」という言葉がありますが、私はこれをサポートできる立場にいたい』という所です。 感動した‥‥けど、うまく言えない‥‥ とにかく、感動しました🥲 #シロカニペ #知里幸恵 #知里幸恵銀のしずく記念館 #銀のしずく #アイヌ神謡集 #ウレシパクラブ #登別 #アイヌ語 #札幌大学

友の会通信「シロカニペ」2024 mata号を発送
2024/02/13
2月20日は冬季休館中ながら友の会通信№27を発送する作業をスタッフ総出で一日やりました。知里森舎通信が2000年より発行してまもなく25年になりますね。水面下や地面下でささえてくれた方々に、アイヌ協会、メデイア関係や博物館にと寄贈も含め650通になる。平均75歳と戦後と同じくらいのメンバー8人でやりました。「シロカニペ」誌名の由来も久しぶりです。木原仁美館長が“ごあいさつ”に今年度の銀のしずく記念館のはずむような活動について、これからの100年へスタートした思いを書きました。いかがでしょうか、会員になりませんか!(^^)!

知里森舎の森のカリンパニの折れ枝の🌸咲く
2024/01/28
ヤウンモシリ(北海道)ヌプルペッ(登別)からの話題です。知里森舎の森の川岸角にあるカリンパニ(桜樹)の折れた枝を水に浸け、スタッフの石井さんが見守って5日。🌸咲く。こんなことあるんですね。 日本海沿岸や内陸地域、オホーツク、メナシクル(北海道東部)は降雪や寒冷の便り。あくまでも地球環境の温暖化の影響ですが。

2024年初の雪が降って来た ~冬季休館なれども
2024/01/09
1月8日、Xmas以来の少し降雪があります記念館。冬季休館していますが、気になるスタッフや会員が除雪に出動してくれます。9時から13時、光室にしずく💧が降りています。 正月明けの庶務をこなします。記念館の維持・管理。復刻版「知里幸惠ノート」注文発送が10件、夏のクルーズ船ツアーの応答、友の会シロカニペ原稿書きと編集、23フォーラムのDVD編集打合せ、森の整備冬の巻。2月には「知里幸恵遺稿」復刻の取材・視察もあります。

金成マツ 知里幸恵の育ての母   ~藤原裕美子投稿
2024/01/09
花万黄丘そう🌹[注目]金成マツ 知里幸恵の育ての母 #知里幸恵の功績を100年後まで伝え残す ウィキペディアより 北海道登別市本町出身のアイヌ女性で、姪「知里幸恵」甥にアイヌ語研究者の「知里真志保」がいました。母から受け継いだアイヌ文学を大学ノート約2万ページに記録し、アイヌ文学研究者のインフォーマントとなりました。1956年に「無形文化財保持者」に指定され紫綬褒章を、登別市で唯一、受賞されました✨ その後、1961年4月6日に亡くなった時には、NHKラジオで追悼番組が放送されました✨ そこには、私共の母マキの肉声が、60年の時を超え、耳にする事が出き、当時、金成マツに心を寄せて頂いた多くの皆様に感謝申し上げます🙇 こちらの写真、勲章🎖は、私共の父が、母マキの形見として大事に保管していました。

冬の一仕事 Rarmaniの枯れ枝処理
2023/12/24
知里高吉が父ハエㇷ゚ト(波ヱ登)の家族と登別本町に広がる登別川の川曲りから伏古川に至る一帯を申請取得したのは、知里幸恵がポクナモシリに旅立って後の1920年代後半である。コタンがあったのは紀文台(キムンタイ)の南の端に位置するヘサンケ(花園神社の置かれた)の下でした。波ヱ登が暮らし、高吉がナミと所帯を持った家は、川曲の高台にあった。波ヱ登の母チョマㇷ゚もそこで暮らしていたという。ペナウンサキペナイの広大な牧場を手放し、登別本町で農業(畑作・果樹栽培・牛飼育)と植樹・造園業をはじめたのです。その知里森舎の森が、1961年にポクナモシリに旅立った高吉の遺した樹林です。求められたRarmaniが多くあります。12月末にその一本の枯れ枝払いをしました。寒い一日でしたが、3人の若手が来てくれ、作業してくれました。

知里森舎の森日記
2023/12/24
今年最後となる森部の会議が 12月10日にありました✒️ 樹木名の看板取付け作業の確認や、これから本番を迎える冬に向けて、支援者による枯れ枝などの伐採の有難い申し出の報告。 来年の年間計画(行事、観察会、整備作業、定例会の日程など)は次回に持ち越しです😅 焦らず一歩ずつです!! さあ、今年1年。 私は季節が廻るごとに宗広先生に、幾度となく森を一緒に散策して頂き、植物について学びその度に森の表情に魅せられ、感動し、もっと学ぼう!と思う気持ちが強くなりました。アイヌの人たちが、自然から得て生活の中で利用してきた多彩な植物が息づいているこの知里森舎の森は、 個性豊かで貴重な森なです。 例え時間と共に自然環境が変化してきても、昔からこの地で生命を育み繋いできた森の植物たちは、生き延びていく為の強い戦略を持ち続け、森を形成してきたことでしょう。自然の力は偉大です!その森で私たちがやれること、出来ることは、限られているのかもしれませんが… それでも、森の在るがままの姿を大切にし、この先、昆虫や野鳥がたくさん飛び交う豊かな森。いつの時もアイヌ文化に触れ・学ぶことが出来る知里森舎の森であり続けたい

北海道新聞“記者の視点” 「アイヌ神謡集」刊行100年
2023/12/24
2023年は「アイヌ神謡集」の刊行100年と著者知里幸恵生の生誕120年の年だった。「神謡集」の意義を考える企画記事「シロカニペ 銀の滴」をカルチャー面に掲載してきた中村康利さんの「記者の視点」である。 《今も生きる知里幸恵の声》

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