知里森舎の森日記 4月12日
2024/04/13
森に、足を運ぶと… なんて事のない日もなぜか「いい日」に変わる!森に流れる自然🌱のリズムと空気のおかげである。天の恵みでもあるかのように突然もたらされる小さな感動✨ 今日は、 一輪のキバナノアマナ!(アイヌ名チカップトマ) 5月5日の観察会の申し込み、 受付けております。 お待ちしてます🙋🏻‍♀️ 期日 5月5日㈰10:00~12:00 申込 📞 0143-83-5666    mail ginnoshizuku@carrot.ocn.ne.jp 〈つづく〉

知里幸惠5講 『知里幸惠ノート』ワークショップ

知里森舎の森日記🐜 2024 No.6 春分の日☘️
2024/03/21
次は、植物たちが目覚める前に  落ち枝などを散策路の両側に並べ、 動線を作っておく作業。 31日の観察会コースと5月に予定されているコースの散策路を確保するため森に落ちている枯れ木や枝を拾い集め、両側に積んで視覚で小道を意識してもらい…まもなく芽吹き出す野草たちを踏圧から少しでも守っていく! そのための作業です🌱 しかし、、、枯れ木や枝を拾い集めて並べるだけで、あっという間の 予定の2時間💦 やはり地道な作業です。。 ですが、この地道な「作業こそが」大事なんです! その大切さを実感している今日この頃の私です‼️ 作業終了後、記念館のスタッフから温かいエント茶🍵を淹れてもらい ホッと一息☺️ 堀江さんからも6時間煮詰めた樹液〜メイプルシロップもご馳走になり、優しい香りと甘さにまたほっこり🌼 これからも、まだまだ森の作業は、 続きまーーす🙋🏻

平取町の伝承者育成事業研修がありました
2024/03/12
本日はゲストの平取町アイヌ文化振興公社のご一行を迎え知里幸恵の業績や文化伝承について説明しました。幸恵さんはフチのモナシノウクがずっと昔からの先祖が伝承してきたウパシクマを幼き頃より育まれ、フチの期待を負ってきたかも。そしてそれを彼方の未来に受け継ぐことを願ったのではないでしょうか。聖公会函館アイヌスクールでアイヌ語読み書きを習った金成マツからローマ字の書き方を教わり遺したのです。 9月22日にある知里幸恵フォーラム24で公演される方もおりました。よろしくお願いします🌈

登別川河口より幌尻岳を望む 
2024/03/03
登別川のクスリサンベツ川との分流(和語では落合とも)する辺り、知里牧場が拡がっていた一帯がキムンタイ(山の森の意、紀文台と表記している)。そこでイソサンケカムイ(エゾフクロウ)の幼鳥を撮られた写真家の志賀俊哉さんが2月に写した登別川河口からの日高山脈です。頂きをひとつ超えているポロシリ。 ホロベツ(登別市)で伝承されて来た「カホル」のサキヘのあるカムイユカㇻ(神謡)。ポンポロシリカムイ(ポロシリカムイの息子)が謡う謡であり、ヤㇺニ(栗の木)の植生石狩限界を物語る、その母がアヨロ媛であることと。 アヨロは白老町の西端に当たり往古よりホロベツ場所に深く連なっていた。太平洋を往くイタオマチㇷ゚やチㇷ゚の寄港地としてポンアヨロコタンのあるレプンクルトマリは重要でした。カムイエカシチャシがあり、渡島の恵山岬から襟裳岬までを遠望できます。ここに集まってきたレプンクル(外洋の者たち)の物語は、太平洋だけでなくオホーツク海のウラシナイのエカシ(翁)、ヤンケモシリ(樺太)、日本海での出来事として伝わる。のではなかったのか? (つづく) 

tanto tanto shiraoi さんの投稿あり
2024/02/26
【知里幸恵 銀のしずく記念館 友の会会報 が素敵すぎて】 知里幸恵銀のしずく記念館の、友の会に入会しています。 友の会通信は、たまに郵送されてくるのですが、今回の27号、とても面白かったです。 本田優子先生の、講演要約。 中川裕先生の、講演要約。 シンポジウム「アイヌ神謡集これからの100年」要約。 心に残ったのは、『「アイヌ問題」とは言うけれど、違うでしょう、「和人」の問題でしょう、日本の社会の問題でしょう』というところ。 それから、ウレㇱパクラブの大学生である岸さんの『序文に「二人三人でも強いものが出てきたら」という言葉がありますが、私はこれをサポートできる立場にいたい』という所です。 感動した‥‥けど、うまく言えない‥‥ とにかく、感動しました🥲 #シロカニペ #知里幸恵 #知里幸恵銀のしずく記念館 #銀のしずく #アイヌ神謡集 #ウレシパクラブ #登別 #アイヌ語 #札幌大学

友の会通信「シロカニペ」2024 mata号を発送
2024/02/13
2月20日は冬季休館中ながら友の会通信№27を発送する作業をスタッフ総出で一日やりました。知里森舎通信が2000年より発行してまもなく25年になりますね。水面下や地面下でささえてくれた方々に、アイヌ協会、メデイア関係や博物館にと寄贈も含め650通になる。平均75歳と戦後と同じくらいのメンバー8人でやりました。「シロカニペ」誌名の由来も久しぶりです。木原仁美館長が“ごあいさつ”に今年度の銀のしずく記念館のはずむような活動について、これからの100年へスタートした思いを書きました。いかがでしょうか、会員になりませんか!(^^)!

知里森舎の森のカリンパニの折れ枝の🌸咲く
2024/01/28
ヤウンモシリ(北海道)ヌプルペッ(登別)からの話題です。知里森舎の森の川岸角にあるカリンパニ(桜樹)の折れた枝を水に浸け、スタッフの石井さんが見守って5日。🌸咲く。こんなことあるんですね。 日本海沿岸や内陸地域、オホーツク、メナシクル(北海道東部)は降雪や寒冷の便り。あくまでも地球環境の温暖化の影響ですが。

2024年初の雪が降って来た ~冬季休館なれども
2024/01/09
1月8日、Xmas以来の少し降雪があります記念館。冬季休館していますが、気になるスタッフや会員が除雪に出動してくれます。9時から13時、光室にしずく💧が降りています。 正月明けの庶務をこなします。記念館の維持・管理。復刻版「知里幸惠ノート」注文発送が10件、夏のクルーズ船ツアーの応答、友の会シロカニペ原稿書きと編集、23フォーラムのDVD編集打合せ、森の整備冬の巻。2月には「知里幸恵遺稿」復刻の取材・視察もあります。

金成マツ 知里幸恵の育ての母   ~藤原裕美子投稿
2024/01/09
花万黄丘そう🌹[注目]金成マツ 知里幸恵の育ての母 #知里幸恵の功績を100年後まで伝え残す ウィキペディアより 北海道登別市本町出身のアイヌ女性で、姪「知里幸恵」甥にアイヌ語研究者の「知里真志保」がいました。母から受け継いだアイヌ文学を大学ノート約2万ページに記録し、アイヌ文学研究者のインフォーマントとなりました。1956年に「無形文化財保持者」に指定され紫綬褒章を、登別市で唯一、受賞されました✨ その後、1961年4月6日に亡くなった時には、NHKラジオで追悼番組が放送されました✨ そこには、私共の母マキの肉声が、60年の時を超え、耳にする事が出き、当時、金成マツに心を寄せて頂いた多くの皆様に感謝申し上げます🙇 こちらの写真、勲章🎖は、私共の父が、母マキの形見として大事に保管していました。

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