FW【マツと聖公会幌別教会】2025.7.20(日)
2025/07/20
【FWマツと聖公会幌別教会】 9時半記念館集合🚙 まず、知里森舎の森🌳の入口にあるマツの家の上がり框の登別石を見てもらう。(今では、その石は苔むして月日の流れを感じます) 車で15分ほど移動し、登別アイヌ協会を訪ね、小坂博宣氏から当時の幌別コタンの地図を見ながらレクチャーを受ける。 その後、周辺探索して(金成喜蔵宅跡、知里恵可之宅跡、愛隣学校敷地)当時に思いを馳せる。 次に知里恵可之が建立した1913年の  三面馬頭観音像を近くのお寺で見学。 更に車で移動し、登別郷土資料館で学芸員平塚さんにマツが甥っ子真志保へ送った年賀状の解説や、マツが使用のした机、ペン先✒️、名刺、森久吉の「弔辞」を解説して頂く。 陽射しは雲に覆われて回避されたが、蒸し暑さにさすが汗が滲む。時折吹く風とポツポツと落ちてくる小雨に救われる。そんな夏🌻の本日、 参加者は金成マツの生涯やその頃のアイヌの人たちの置かれた時代背景に心を寄せた貴重なFWになったことと思います。 参加者の皆さん、お疲れ様でした

17000人目の入館券来館者🦉
2025/07/19
7月16日も11人と賑わう記念館。最後の来館者は、17000人目。ささやかながらガイドと神謡集、絵葉書をプレゼント💝 埼玉県からの起こしでご友人たちと盛り上がっておりました。

知里森舎の森日記🦌 7月18日
2025/07/19
2025.7.18 (金) 本日森部活動日 心配していた雨も降らず、 予定🗓️通り7名で 刈り払い機と手作業で  外来植物(オオハンゴンソウ)の 抜き取り、 散策路、ネット周りの草刈りに精を出す。 蒸し暑く、無風の中、手を動かすと 汗が吹き出てきて💦体力が 奪われていくが… スッキリした森🌳を見渡すと心地よい! 時々、小休止して水分補給と おしゃべりでひと息つく😊 森を愛する仲間と共有する時間は、 私にとっては、やりがいのある 大切な時間でもあります✨ また、来月 知里森舎の森のため 頑張ります🙋🏻‍♀️ 本日もお疲れ様でした! 作業の終り頃、登別川へのユㇰル(鹿道)から親子が現れ、お互いにみつめあう。前日の夜にキムンタイの散策路にキムンカムイの親子の🐾がありました。

turep オオウバユリ花開く 見頃です
2025/07/11
7月10日の知里森舎の森です。大窓から眺められるテラスがturep:オオウバユリの群生を眺められます。参院選投票日には花が落ちますよね。蚊やダニの対策をして森の散策もできますよ。そう言えば幸恵さんの手紙にありました、トゥレㇷ゚・イルㇷ゚(オオウバユリの澱粉)が好物だと。

知里むつみ アイヌであること 国際先住民年に思う
2025/07/06
友の会の会員さんが教えてくれた奄美大島の南海日日新聞に載った1993年4月1日の知里むつみ。 むつみさんは東京から発信している。関東ウタリ会会員として。 68歳でポクナモシリに旅立ったむつみさん、2026年9月21日で10年になる。

オオウバユリを掘る 夏の自然観察会7月6日
2025/07/06
早くから応募のあった参加者とともに、チリニタイ(知里森舎の森)の特性を知る。植物のアイヌ語名を発音して感じる。サㇰパとマタパの季節感。植物のカムイ、マツヤニ姫とトリカブト姫の物語はアイヌモシリを訪れる熊のカムイの話。 30分のレクチャーの後、森に棲んでいるカムイに会いに行く。迎えてくれたリヤポィユㇰ(演出ではなく)。6月末から7月初がトゥレㇷ゚を掘って食べる、と真志保辞典にある。エイとスタッフが抜いて根茎を確認。娘も付いていた(^_-)-☆    レクチャーの様子を「続き」に

7月1日 登別市アイヌ文化講座 「金成マツと登別」 室蘭民報

室蘭民報 浅野清 「ユカㇻの伝承者 金成マツ伝」
2025/07/03
当館の元副館長浅野清さんが、《生誕150年を祝して》金成マツを10回連載しています。 ⑴初めに ⑵幌別時代 いとこと厚い信頼関係 ⑶函館時代 教師助手的役割果たす ⑷平取時代 日曜学校で生徒を指導 ⑸旭川時代 幸恵と金田一が出会う ⑹旭川時代 金田一の話で筆録決意

登別市アイヌ文化講座 「金成マツと登別」
2025/07/03
【登別】「知里幸恵 銀のしずく記念館」(登別本町)を運営するNPO法人知里森舎の松本徹理事長の講演会「金成マツと登別」が1日、市民会館で開かれた。  本年度のアイヌ文化講座(市教委主催)の2回目として開かれた。幸恵の叔母で今年生誕150年を迎える登別出身のアイヌ文化伝承者、金成マツの足跡をたどった。  マツが旭川の日本聖公会で布教活動をしていた1918年(大正7年)、当時一緒に生活していた幸恵が登別の両親への手紙で「(マツが)五尺五寸四方の天鵞絨(ビロード)にイカラカラ(刺しゅう)しています。そして亦(また)早いこと早いこと」などと刺しゅうを得意としていた様子を記している。このことから松本理事長は「マツはキリスト教に入信するなどハイカラな人に見えるが、アイヌ民族女性としての作法を手放していない」と指摘した。  幸恵が1922年(大正11年)に死去して7回忌を迎えた1928年(昭和3年)を機に、マツはローマ字でユカラの筆記を開始し、大学ノートで1万ページ以上となるなど功績を残した。つつましく暮らした晩年も「話題が豊富で話がうまく来客が絶えなかった」と登別での暮らしを語った。

史跡めぐりバスツアー「アイヌの足跡をたどる」 陶 惠荣
2025/07/03
6月22日、「財界さっぽろ」の社長であり、『開拓者の足跡を訪ねて』の著者でもある舟本秀男さんがガイドを務める、北海道内史跡めぐり日帰りバスツアー(登別・白老コース)に参加しました。 今回のテーマは「アイヌ」。出発と同時に、舟本社長による興味深いガイド講話が始まりました。最初に紹介されたのは、アイヌ語のローマ字表記を工夫し、『アイヌ神謡集』を著した知里幸恵さん(1903–1922)でした。私は彼女のことを初めて知りましたが、わずか19歳という若さで生涯を終えた彼女の功績に深く感動しました。 その後、知里幸恵さんが生まれた登別本町にある「知里幸恵 銀のしずく記念館」を訪れ、知里森舎理事長の松本徹氏から詳しい解説を受けました。『アイヌ神謡集』が13のアイヌ語の物語を日本語に翻訳したものであることや、その価値について学びました。そして、翻訳された中国語版の『アイヌ神謡集』を記念として頂き、大変嬉しく思いました。帰宅後にじっくり読みたいと思っています。館内には知里幸恵さんの直筆の手紙や日記、アイヌ語のノートなどが展示されており、彼女の短いながらも意義深い生涯とその偉業に直接触れることができました

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