2023/05/30
幸恵のハポであるナミさんの、高齢になってから収録されたアイヌ語も讃美歌の歌声を聴くことから始まった5月27日知里幸恵講座2回目。
「幌別ハマとマエハマ」明治〜大正期の幌別市街図・周辺の住宅の分布図から見えてくる幌別ハマの風景には、愛隣学校(聖公会幌別教会)があります。1887年聖公会バチラーの協力を得て金成喜蔵が敷地を寄付し、喜蔵の長男である太郎が校長となった愛隣学校の前身である相愛学校から始まります。ネトルシップ校長の居住問題が起こり、学校は函館に移転します。
1892年マツ・ナミ姉妹はその函館アイヌスクールへ入学します。ナミさんは函館で7年間勉学に励み平取の聖公会で布教活動をしたのち高吉さんと結婚のため登別に戻って来ます。そして幸恵たちの母になるのです。
1909年の幌別教会で行われた「クリスマス会」のことです。このクリスマス会では、讃美歌をあどけけない容貌ながら落ち着いて堂々と披露する六才のアイヌの少女がいました。「満堂の会衆」が心震え感動を与へり!という記事が幌別通信に載ります。この少女こそ年齢的に幸恵ではないかと言われてます。
(その2に続く)